人生史映像制作を手掛ける理由

 
人生史映像制作事業を開始してすでに8年の月日が経過しました。
改めて、「何故この事業を手掛けたいと思ったか?」を掲載させていただきます。
◆幼少期
幼少時、私は父を憎んでいました。
酒に呑まれて、家の中で暴れ、母を殴り、まさに「巨人の星」の“星一徹化”した父。
母も兄も私も、怒鳴られることにビクビクしながらの生活。
幼い私は、「母ちゃんを父ちゃんから守らなければ!」
いつもそんな思いでいました。
家の中を暗い雰囲気にする父の遡行。
耐え切れない思いがありました。
「ぼくは絶対あんな父ちゃんのような人間にはなりたくない!」と
いつも思っていました。
◆教師を目指して大学進学期
でも、その父に対する憎しみの思いは、
大学進学のための上京をきっかけに、変化をもたらせました。
“自立の入り口”となるひとり暮らし。
教師になる夢と大学生活への期待にワクワクしながらの上京。
でも、このひとり暮らしを経験することによって
“生きる”ということの意味を知るようになりました。
ひとり暮らしをし始めて、
「電気代」「ガス代」「水道代」「電話代」・・・
そして「食費」。。。
いろいろなことにこんなにお金がかかっているんだということを
実感することになります。
世間知らずの自分を恥ずかしく感じました。
「生きること、生活することって大変なんだ」
「お金ってこんなにかかるものなんだ」

父と母がいつも言い合っていた喧嘩の原因とその内容は、私たち子供の「教育」のことと「お金」のことがほとんどだったと思います。
「大人はいつもお金お金って・・・」
「大人は汚いし、お金も汚いもの」
そんな認識が、知らず知らずのうちに幼い私の中に蓄積してしまっていました。
でも、上京して実際にひとり暮らしをしてみて、
生きるにはどうしても「お金がかかる」ということを理解しました。
決して裕福ではない家計の中で、両親は私の進学にあたり、私の夢の実現のために、
「大学入学金・授業料等、多額のお金をどうやって捻出してくれたか?」
そんなことを考えるようになりました。

時を同じくして、私は教育実習に行き、教育現場の実情を知り、
“理想と現実のギャップ”を感じた時、
「自分には現状の仕組みの中での教師の道は合わない。別な道を進むしかないのか・・・」
言い知れないストレスと絶望感を感じました。
人生初めての挫折でした。
(ちなみに、教育実習は2日で挫折。前代未聞とのこと)

そんな時に、ふと両親のことを考えました。

「父と母は、やりたいことが出来ていた人生だったのか?」
「両親の生きがいは何だったのか?」
「もしかしたら、父は自分の思い通りにならないことが多く、ストレスがたまって、
その結果、酒に頼り、母に当たってしまっていたのではないか?」
「もしかしたら、父の表面的な部分しか見れていなかったのかもしれない・・・」

初めてでした。
父を父と見るのではなく、母を母と見るのではなく、
ひとりの人間として知ろう、知りたいと思うようになったのは・・・

“木をみて森を見ず”
自分のその時の感情に影響されて物事を判断するのではなく、もっと大局的に根本を見ることの重要性を知ったのもこのころの“親に対する見方が変わった”ことからでした。
◆社会人初期
教師の道を諦めた私は、結果的には、某不動産会社に就職しました。
不動産の仕事がしたいと思ったわけではなく、その創業者M社長の生き方に感銘し、
「この人に人生のイロハを学びたい!」と感じての入社でした。
ところが。。。
時代は1980年代後半。バブル全盛期。
新入社員でも、自社物件を投資として購入することが当たり前の時代でした。
私も当然のことながら約4,000万円近い価格の物件を購入しました。
当時年利8.76%で物件価格満額を借入し、支払総額は利息含め約1億になります。
今では、考えられないことですが、そんなズレた金銭感覚になってしまっていました。
バブルが弾け、その負債は私の人生に重く圧し掛かってきたのは言うまでもありません。
そんな苦く苦しい経験をすればするほど、
「両親はどんな生き方をしてきたのか?」
「人生に壁を感じたりしなかったか?落ち込むことはなかったか?」
「どんな気持ちで私を産み、育ててくれたのか?」
・・・・
◆父の病

父が、ついに体調を崩し、
胃がん、そして肺がんを患い入院。
私は最初「天罰が下ったんだ。親父自身が悪いんだ」と
ある種客観視している自分がいましたが、
人生の先輩として、どんな苦労をして、私たちを育ててくれたのかを考えると、
父の生き方を知ることが大事であり、その血が自分の中に血統として生きていることを知り、さらに「先祖を大切にする心を持て」と教えてくれたM社長の言葉を思い出し、自分の将来の人生設計を冷静にしていく上で、両親、そして家系・先祖を知ることは必要不可欠と考えるようになりました。

そうしたことを経験し、考えていく中で、
「両親のことを私が知りたいと思うように、私の子孫にも自分の人生の歴史や“生きた証”を後世に残したい」というように考えるようになったのです。
そして、本来の教育の在り方を考えれば考えるほど、
『教育の原点は家庭にあり、そのポイントは“親孝行”である』という結論を、
自分の中で導き出せるようになりました。

次世代に何を残せるのか?
人間がこうして生かされている目的は何なのか?
命を与えられ、生かされている私たちひとりひとり、例外なく、
「生きた証を後世に残す責任と義務」があります。

1995年8月、父は他界しました。
母も、昨年2013年10月に80歳の人生を終えました。 
この両親があって、今の私がいる。
そしてそこには、「生かされている目的」が必ずある。

両親の人生史を作成したい!と思うようになり、母にお願いして、父と母の若い頃、
ふたりが出逢った頃の、色あせた、でも初々しい笑顔の写真を初めて手にしました。
そしてあの厳格で“星一徹化”していた父が、かつては生まれたばかりの私を抱いて、お風呂に入れてくれている写真もあり、両親の生き様をシナリオに書き上げていく途中、私は涙が止まりませんでした。
「ありがとう」
その言葉以外、何も出てきませんでした。
そして、父を恨んでいた自分を恥じ、「父の実情を理解してあげるだけの心の成長が出来ず、本当に申し訳なかった」と心から謝罪しつつ、この世に誕生させてくれたことに心底感謝しました。

社会に役立つ自分になることが使命感としてあるなら、
この人生史映像制作を通じて、ひとりひとりの生きた証を残し、
後世に継承し、伝統化していく。
そのお手伝いを、「映像」という色あせることなく半永久保存出来る今の映像技術を活用して、多くに方々に喜んでほしいと心から感じています。

そして、教育分野において、「家庭の在り方」「親孝行」というキーワードを、全国、そして全世界に伝えていきたいと決意しています。

昨今、親が子を、子が親を平気で殺すという事件が後を絶ちません。
この人生史映像こそが、「家系の過ち」を正し、正しい親子の在り方、正しい生き方、
そして正しい教育の道筋を築けるものと確信しています。

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